世俗の問題と煩悩の力

経典の差別語に「心痛む」 本願寺に要望
http://www.chugainippoh.co.jp/religion/news/20170908-006.html

小森氏は浄土三部経の「観無量寿経」(観経)に出てくる「是栴陀羅(せんだら)」を問題視し、人間の平等を説いた親鸞聖人の遺弟である本願寺教団に、問題解決に向けての取り組みを進めるよう強く要望した。

出自による差別は全くもって肯定しませんが、密教的にはこういうものが取り込まれて成立しているようです。

例えばお薬師さんの御真言。

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
(オーム フルフル チャンダリー マータンギー スヴァーハー : チャンダリーよマータンギーよ、厄病を取り払い給え)

「旃陀羅(せんだら)」もチャンダリー、マータンギーも、語源は恐らく同様で、屠畜を生業とする人々をさしており、彼らの祀る女性神の名前をチャンダリー、マータンギーと呼ぶようになったという説があります。或いは彼ら(彼女ら)は、巫覡のような役割であったのかもしれません。

密教は、煩悩の根源にある力を利用した解脱の道をシステム化したため、世俗の問題も取り込んでいる嫌いがあります。この辺りはこの辺りで保存しつつ、現代社会に受け入れられるようなものにすべきではありますね。

カルマ・ヨーギー 佐々井秀嶺師

インドで1億5千万人の仏教徒を導く、81歳の日本人僧「私には黒い血が流れている」
http://www.jprime.jp/articles/-/10511

佐々井秀嶺師は、独りインドに渡り、半世紀以上に亘ってインド仏教復興活動の中心人物として活動。その身を不可触賤民の改宗や大菩提寺管理権返還運動に費やす。インド仏教会の大立者。

そもそも出家に至るまでに、散々娑婆の煩悩にまみれたり、社会活動に身を投じたりと、娑婆の僧侶の説得力がある。

日本でも、「佐々井のやっていることは仏教ではない。ただの社会運動だ」と批判されたことがあった。

「ただ静かにお経を上げ、お布施をもらうだけが僧侶ではない。何もせんやつに何を言われようとかまわん」と意に介さない。

 

仏教は社会運動なのか?というのは、確かに疑問を挟む余地のある所ではあるが、問題はその点ではない。

仏教は社会運動ではない。しかし、利己的動機全く無しに行われる善行によって、人は清淨となり魂の自由に至るという道もある。
佐々井秀嶺氏は娑婆でそれを実践する大行者だ。

スワミ・ヴィヴェエーカーナンダ師は仰った。

カルマ・ヨーガの教えを本当に実行したある人のことを少しだけ話させて下さい。その人はブッダです。彼はこれを完全な実行に移した唯一の人です。

「私はあなた方の神についてのさまざまの学説を知ろうなどとは思わない。魂についての微妙な教義などを論じて何になるか。善をなせ、そして善良であれ。そうすればこれがあなたを自由に導き、何であれ、そこにある真理に導くのである。」と説いた、たった一人の預言者であります。

彼は「何かの古い写本が出てきたからといって、信じるではない。あなたの民族の信仰であるからといって、子供の時から信じされられてきたからと言って、信じるではない。ただ徹底的に推理し、分析した後に、それは全ての人に善をなすであろうと分かったら、それを信じよ、それを生きよ、そして他の人々もそれを生きるように、彼らを助けよ」と、敢えて言い切った最初の人でした。

仏陀こそは全く動機なしに活動する理想的なカルマ・ヨーギーであると。

佐々井秀嶺師は、間違いなくその系譜に連なるカルマ・ヨーギーにして、ブッディストなのだ。

ジャイ・ビーム!