グルについてのメモ

近頃色々とあってね。


大乗仏教徒のアプローチにおける精神の友は、卓越した精神的境地を実現し、日常的な できごとにも深く精通していると見なされる。彼はけっして揺らぐことのない自覚を持ち、要点を見逃さない。また私たちの否定的な傾向に対処してゆけるだけの慈悲心を育ててきている。精神性の道をあなたが歩こうとすることは、彼にはまったくの冗談と映るかもしれない。あなたは完全に 混乱した不条理な人物として振舞うかもしれない。にもかかわらず彼は望みを捨てない。あなたを 受け入れ、あなたが生み出す腹立たしい状況と真剣に取り組んでゆく。彼は恐ろしいほど忍耐強い。何か間違 ったことをすれば、そのやりなおし方法を教えてくれる。ところがあなたはついへまをしたり、彼の指示を曲解したりしてますます失敗を重ねてしまう。そこで彼のもとに戻り、彼の 言葉を待つ。「大丈夫。まだ何とかできるだろう。だが今度は別のやり方を試してみよう。」再度の試みがなされる。絶対にやれる、といった確信とものすごいエネルギーを投入し取り組んでゆく。 しかし何日かすると何もかもが面倒臭くな ってくる。そこであなたは、自分を楽しませてくれそう なまったく別の対象を物色する。精神の友は、本を読まずに集中的な瞑想を修行するよう指示する。ところが本はあなたの膝元に飛びこんでくる。読まずにはいられない。それは教えの一部でもあるかのようだ。そこでまた彼のところへ戻り、こんなことを言う。「あなたの指示には従ったのですが、この本が再三膝元に飛びこんでくるので読まずにはいられません。」「よろしい。何かその 本から学ぶところがあったかね? もしそうなら読み進めなさい。そしてそれが言わんとしていることを読み取りなさい。」そう彼が言ったのであなたは部屋に戻り読み始めるが、それにもまた飽きてしまう。季節は春である。花が咲き木々は新緑の頃、自然は魅力にあふれていて読書などに集中できない。あなたは外に出て散歩でもしたい気分になる。自然の美しさを味わいながら 〈瞑想的な〉気分を楽しもうというわけだ。行を修めるのはとてもむずかしい。横道にそれていることに気 がつかないまま、たえず横道をつくり出してしまう。問題なのは精神の友への不服従ではない。問題は実際あなたがあまりに深刻すぎるところにある。過度に深刻すぎるから横道にそれてしまう。修行から脱けたりはいったりする軽薄さというあなたの無礼に対し、精神の友は並はずれた忍耐を強いられているのだ。

チョギャム・トゥルンパ『タントラ 狂気の智慧』